商売と倫理の融合!論語とそろばん

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道徳と商売は切っても切れない関係にある

商売は利益を上げることが最も重要でそれに伴う他社の不利益などは一切考えない。

商売というのは生き死になので、他人をかまってられるのは会社が安定しなければ不可能である。

この考えに立って商売を行った事例として、1953年から1960年に発生した4大公害病がある

イタイイタイ病、水俣病、四日市ぜんそく、新潟水俣病。

人間の産業活動により排出される有害物質によって引き起こされた健康被害の事例たちだ。

これらを引き起こした会社は市民たちのデモや訴訟により全面勝訴が確定しており、経済面にて大きな損害を被った

三島毅と渋沢栄一

渋沢栄一が70歳になったときに友人から一冊の画帳が送られてきて、その中には論語の本とそろばん、一方にはシルクハットと大小の朱色に塗った刀の鞘が描いてありました。

これをみた三島毅は ”とても面白い私は論語を読む一方で、お前(渋沢)はそろばんを研究している方だ。そのそろばんを持つ人が論語のような本を立派に語る以上は、自分もまた論語だけですませず、そろばんのほうもおおいにきわめなければならない。だから、お前とともに論語とそろばんをなるべくくっつけるように努めよう”と

私は常々モノの豊かさとは、大きな欲望を抱いて経済活動を行ってやろうというくらいの気概がなければ、進展していかないものだと考えている。空虚な理論に走ったり、中身のない繁栄をよしとするような国では本当の成長とは無関係に終わってしまう。

だからこそこの国には政界や軍部が大きな顔をせずに実業界がなるべく力を持つようにしたいと、考えている。実業とは国にものをいきわたらせる行為のことをいい、正しい道徳のもとこれを実行しなければ、国の富は増えてゆかず、富が一部の上流階級に集中することにつながりかねない。

争いはよいのか、悪いのか

世間には争いをなくし、いかなる場合においても争うことはよくないものだとして

”右の頬を打たれたなら左の頬を差し出せ”

など説くものだが、渋沢本人は争いは必要なものであると考えている。

孟子の言葉に ”敵国やライバルがいないと国は必ず滅びてしまう”というものがある。

国家が成長するには商工業にしても、芸術にしても、外交にしても、外に強力なライバルがいてこれに勝ってやろうという強い気概がなければ、到底成長できないという。

これは一個人に対しても同じことがいえる

後輩を指導する立場となる先輩は後輩にいろいろなことを教えなければならない、この立場になった人はざっとみて二種類に分けられるという。

一つ母親のような寛容さで指導する先輩だ。どんなミスをしても決して怒らないし、ミスをがみがみいうこともない。

このタイプは後輩から好かれて、信頼感を抱かれるだろう。しかしこの指導によって後輩が

”先輩がミスしても助けてくれるだろうと、自分の成長をストップさせてしまう原因”となりかねないという。

もう一方は真逆で、いつも後輩のミスに対して、怒っていてがみがみ言ってくるタイプだ。

このタイプは後輩からは基本的に嫌われて、不信感を抱かれている。しかし一方で後輩が先輩から怒られないようにしっかり仕事をこなそうとしたり、完全なアウトプットを心がけるのだとしたら

後輩の成長に一役かっているといっても差し支えないだろう。

ようはバランスということなのだが程よい緊張がなければなかなか成長できないものである

 

ビジネス,読書

Posted by soichi0412